日本時間2026年4月2日朝、フロリダ州ケネディ宇宙センターから一筋の炎が空に向かって伸びた。NASAの大型ロケット「SLS」——全長98メートルのその機体は、4人の宇宙飛行士を乗せたオリオン宇宙船を月に向けて打ち上げた。
人類が月に向かうのは、1972年のアポロ17号以来、実に53年ぶりのことだ。
「月フライバイ」——着陸しない試験飛行が重要な理由
今回の「アルテミスII」は、月面に着陸するミッションではない。宇宙船は10日間かけて月の近傍を通過し(これをフライバイという)、地球へ戻ってくる「有人試験飛行」だ。それだけ聞くと「着陸もしないのに大げさでは」と思うかもしれない——だが、この試験の意味は大きい。
乗り込んでいるのはリード・ワイズマン船長(米)、ビクター・グローバー飛行士(米)、クリスティーナ・コック飛行士(米)、ジェレミー・ハンセン飛行士(カナダ)の4人。コック氏は女性として初、グローバー氏は黒人として初、ハンセン氏は非米国籍として初めて月の近傍へ向かう飛行士となる。
NASAが今回確認したいのは、「人が乗った状態で」宇宙船が深宇宙で機能するかどうかだ。生命維持装置、通信システム、電源、手動操縦——これらは無人飛行のアルテミスIでは検証できなかった項目だ。新型機でいきなり長距離の商業運航に踏み切らないように、月面着陸の前段として有人試験飛行が不可欠になる。
打ち上げ直後には、トイレ系統の不具合と地球との通信に一時的な障害が発生したとNASAは認めた(NASA公式ブログ、4月2日付)。ただいずれも飛行の継続を妨げる問題ではないとしており、ミッション自体は順調に進んでいる。
アルテミス計画とは何か
そもそもアルテミス計画は、アポロ計画と何が違うのか。
アポロが「月に行って帰る」ことを目標にしていたのに対し、アルテミスは月に継続的に滞在し、将来の火星探査に向けた拠点をつくることを視野に入れている。NASAはこの枠組みを国際的に広げており、日本、欧州、カナダなどが参加するアルテミス合意には2026年1月時点で61か国が署名している。

技術面でも多国間の協力が実際に機能している。今回、オリオン宇宙船を月へ送り届け帰還させるための「サービスモジュール」——エンジンや電力供給、酸素・水の供給設備を搭載する装置——を開発したのはESA(欧州宇宙機関)だ。ESAのアッシュバッハー長官はNHKのインタビューに対し「宇宙船はサービスモジュールなしには月に行って帰ってこられない」と語り、今回の飛行を計画の信頼性を実証する場と位置づけた。
「月面着陸」を巡るスケジュールの現実
今後の計画はどうなっているか。NASAが2026年3月に公表した計画更新によれば、アルテミスIII(2027年予定)は低軌道上でのランダー(月着陸船)接続実証を担い、初の有人月面着陸はアルテミスIV(2028年初頭目標)とされている。着陸船や宇宙服の開発遅れから、当初の構想は段階的に組み直されている。
トランプ大統領の任期内に月面着陸という目標と、現実の開発進捗とのギャップはある。今回の打ち上げは技術実証の場であると同時に、この野心的な計画を持続させられるかどうかを問う試金石でもあると、専門家からは指摘されている。
月を巡る米中競争——「旗を立てる」競争ではない
アメリカが半世紀を経て再び月に向かう背景には、中国との競争がある。ただしこれは単純な「どちらが先に旗を立てるか」という競争ではない。
月面では宇宙条約によって主権は認められていない。しかし月面での活動が本格化すれば、通信の周波数割り当て、着陸区域の安全確保、資源採掘のルール——こうした実務上の慣行が積み重なり、事実上の秩序が生まれる。NASAはアルテミス合意を通じて61か国を自らの枠組みに組み込もうとしており、中国はロシアなどと連携する別の協力モデルを推進している。
CSIS(戦略国際問題研究所)のクレイトン・スウォープ氏は「アメリカや中国がどうふるまうかによって、各国に影響を及ぼす地政学的リスクが伴う可能性がある」と述べる。月探査は、将来の宇宙空間の秩序を誰が主導するかというテーマと切り離せないのだ。
中国は2022年から自前の宇宙ステーション「天宮」を運用し、2024年には世界で初めて月の裏側から岩石サンプルを持ち帰ることに成功した。2030年には有人月面着陸を目指している。中国当局者はこうした「競争」という枠組みについて懐疑的な見方を示しており、アメリカ主導の宇宙秩序観とは異なるアプローチを強調している。
月面の極域に存在することが確認されている水氷も、こうした文脈で注目されている。水から分解できる酸素は生命維持に、水素はロケット燃料になり得る。つまり月の極域を押さえることは、将来の宇宙活動の「補給路」を握ることとも重なる。
日本は「観客」ではない
日本はこの計画の外野ではない。
2024年の日米合意では、JAXAとトヨタ自動車(7203)が共同開発する有人与圧ローバー「Lunar Cruiser」(月面での長距離移動を可能にする密閉型の月面車)の開発・運用費用を日本が負担する代わりに、NASAは日本人宇宙飛行士に月面着陸の機会を2回提供するという枠組みが確認された。2026年時点で、日本人が初の非米国籍月面着陸者になることを共通目標とする方向も日米間で確認されている。
国際宇宙ステーションの船長も務めた宇宙飛行士の大西卓哉氏は地球帰還後の会見で「ISSから月を見ながら、次はあそこに行きたいと思っていた。自分のこれまでの経験をすべてぶつけるつもりでアルテミス計画に貢献したい」と語っている(NHKの報道による)。どの日本人飛行士が月面に立つかは未定だが、今回のアルテミスIIの打ち上げ成功は、その前提条件が一つ積み上がったことを意味する。
「試験飛行」の成否が問うもの
宇宙船オリオンは打ち上げから6日目に月に最接近し、月の裏側を回り込む。その間、地球との通信は一時途絶する。7日目以降は地球への帰還軌道に入り、10日目に太平洋沖に着水する予定だ。
惑星科学が専門の東京大学大学院・宮本英昭教授はNHKの取材に対し「およそ50年ぶりに人間が月に行くという意義は大きい。今回は月の裏側を通過して地球に帰ってくるだけだが、成功すれば月面着陸に向けて大きな一歩を踏み出すことができる」と語っている。
月を目指す計画が技術的・政治的・財政的な困難を乗り越えてきたことも事実だ。アルテミスIIは当初2024年に予定されていたが、燃料漏れなど複数のトラブルで2度延期となった。それでも今、宇宙船は月へ向かっている。
53年前、人類が最後に月を離れたとき、次にいつ戻るかを誰も知らなかった。その「いつか」が、今日になった。
(本稿は各種公開情報をもとに作成しました。一部数値は記事掲載時点の情報です)

