東証が止まった日から約6年——新社長が担う「次のステージ」

2020年10月1日、東京証券取引所が終日、売買を停止した。

株式市場が丸一日止まるというのは、異常事態だ。世界中の投資家が東証に注目し、日本の金融インフラへの信頼が問われた。原因はシステム障害だった。共有ディスク装置(NAS)の故障が引き金となり、バックアップ系への切替が想定どおり機能せず、注文をさばくシステムが正常に機能しなくなった。東証は「市場を開けない」という判断を下し、その日の取引はゼロに終わった。

あの日の対応に当たった人物の一人が、2026年4月1日に東京証券取引所の新社長に就任する。現・大阪取引所社長の横山隆介氏だ。


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「市場」の実態は、超高速の注文処理機械

東証の社長交代を伝えるニュースに、「取引システム関連の経験が長い人物」という説明が繰り返し登場する。なぜ株式市場のトップに、IT・システムの経験が重視されるのか。

それは、現代の証券取引所が本質的に「巨大なITシステム」だからだ。

毎日、数千万件規模の注文が飛び交う。個人投資家のスマートフォンからの注文も、機関投資家のアルゴリズムが自動で出す注文も、すべてシステムが一瞬で受け取り、マッチングし、約定(売買成立)を記録する。この処理が止まれば、市場も止まる。

2020年の障害は、その脆さが現実になった瞬間だった。以来、「取引所の社長にはシステムへの深い理解が不可欠だ」という認識が、業界内外でより強く共有されるようになったとされる。


JPX・東証・大取——「グループ」の構造をまず知る

「東証社長交代」というニュースをより正確に理解するには、日本の取引所がどういう組織構造になっているかを押さえておくと便利だ。

最上位に立つのが日本取引所グループ(JPX)という持ち株会社だ(東証プライム上場、証券コード8697)。その傘下に、東京証券取引所(東証)大阪取引所(大取)がある。

  • 東証:株式などの現物取引を中心に担う
  • 大取:先物・オプションなどデリバティブ取引を中心に担う

横山氏はこれまで大阪取引所の社長を務めつつ、東京商品取引所の会長も兼務していた。4月からは東証社長と同時に、JPXのグループCOO(最高執行責任者)にも就任する予定だ。グループ全体の執行を束ねる役割を兼ねることになる。

また、大阪取引所の後任社長には多賀谷彰氏が就く予定とされている。


市場改革の「今」:15〜20%、という言葉の意味

横山氏が新社長に就く東証は、ここ数年、大きな「改革」の渦中にある。

日本の上場企業は長らく、「利益は出ているが、株価が割安なままの企業が多い」と海外投資家から指摘されてきた。理由のひとつは、企業が株主から預かったお金(資本)をどれくらい効率よく使っているかを意識せず、余分な資本を抱え込みがちだった点にある。

東証は2023年、上場企業に対して「資本コストや株価を意識した経営」を求める要請を出した。これは命令ではなく要請だったが、その後、東証は対応している企業・していない企業の一覧を作成・公開する形でフォローを続けている。「公表する」という仕組みが、企業への間接的な働きかけになる——そういう仕掛けだ。

JPXの現CEO・山道裕己氏はこれまでのインタビューで、改革の進捗を「15〜20%」と表現してきた。この言い回しは「まだ道半ば」という意味であると同時に、「改革を緩める気はない」というメッセージとしても受け取られることが多い。

今回の人事発表に際してJPX側は、改革は「第1段階に到達したところ」とし、次のステージでは企業の成長投資の促進が重要になるとの認識を示した。


次の山:「資本効率」から「成長投資」へ

ここで一つ、整理しておきたい流れがある。

これまでの改革の中心は「資本効率の改善」だった。簡単に言えば、「余分なお金を抱え込まず、もっと効率的に使いなさい」という要求だ。企業は自社株買いや増配(配当増加)などで資本を株主に還元し、ROE(自己資本利益率)を高めることが求められてきた。

しかし「余剰資本を返す」だけでは、企業が成長するわけではない。本当の意味での市場活性化には、企業が将来に向けた成長投資をし、新しい事業や技術に資本を振り向けることが必要だ。

JPXが「次のステージ」として成長投資の促進を挙げたのは、改革の矢印がここへ向かいつつあることを示している。東証はアジアのスタートアップ誘致やIPO市場の強化を意識した取り組みも打ち出しており、「上場企業の質を高める」改革から「市場に入ってくる企業を増やす」改革へと、重心が移りつつある。


「英語で読めない」が壁だった

改革の実効性を左右するもう一つの要素が、海外投資家の参加だ。

日本の株式市場は規模こそ大きいが、海外投資家から見ると「情報が日本語しかない」という壁があった。決算資料も、重要な適時開示情報も、日本語でしか出ない企業が多かった。海外の機関投資家が日本株に投資するには、まず情報へのアクセスという問題を乗り越えなければならなかった。

この壁を取り除くための制度が、英文開示の義務化だ。2025年4月から、プライム市場(東証の最上位区分)に上場する企業には、決算情報や適時開示情報を日本語と英語で同時に開示することが原則として義務付けられた(段階的な猶予措置はある)。

制度を「作る」段階から「守らせ、改善する」段階へ——東証は実施状況の調査レポートを出しながら、この移行を進めている。


システムの安定と市場の進化を、同時に

横山氏が直面する課題は、二層構造になっている。

一つは、2020年の障害が刻んだ命題——取引システムを止めないこと。市場の信頼は、日々の「ちゃんと動いている」という積み重ねの上にある。特に高速・大量取引の時代には、システムの高度化と安定運用の両立が問われ続ける。

もう一つは、改革の継続だ。資本効率の改善から成長投資の促進へ、英文開示の定着から次の施策へ——東証は単なる「株を売り買いする場所」を超えて、日本経済の構造変化を促す役割を担いつつある。

「15〜20%」という言葉が示す通り、まだ道は長い。4月に就任する新社長が、その先の何パーセントを刻むことになるか。答えは数年後にしかわからない。


2020年の教訓が人事に宿る

あの日、終日停止した市場を前に、対応に奔走した経験を持つ人物が東証のトップに立つ——この人事の選択には、ある種のメッセージが込められているように読める。

「取引所は機械でもある」という現実を知り抜いた人間が、市場の次のステージを設計する。そのことが、これから日本の株式市場にとって何を意味するかは、まだ不明だ。しかし少なくとも、2020年10月1日という記憶は、4月以降も東証の壁に刻まれ続けることになる。

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この記事を書いた人

CFP®/1級ファイナンシャルプランニング技能士
公益社団法人 日本証券アナリスト協会認定
・プライマリー・プライベートバンカー
・資産形成コンサルタント
一般社団法人金融財政事情研究会認定
・NISA取引アドバイザー

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