2026年2月26日、東京のある会見場で、JBIC(国際協力銀行)の林信光総裁がマイクの前に立った。
「このプロジェクトは経済安全保障上、重要であると同時に、日本企業にとっても中小企業を含めてビジネスの拡大につながる取り組みだ」
記者の前でこう語った林総裁が説明したのは、日米両政府が2月に選定した3つの投資プロジェクトだ。日本からアメリカへの投資として第1弾に選ばれたこれらの案件は、総額で日本円にして約5兆6000億円規模にのぼる。
「80兆円の対米投資」とは何だったのか
まず、この枠組みの出発点を振り返っておきたい。
2025年7月、日本とアメリカは大規模な投資協力の枠組みで合意した。日本が米国の戦略分野に投資する総額の規模感として「5,500億ドル(約80兆円)」という数字が打ち出された。
ただし、「80兆円」と聞いて日本政府が現金を用意するというイメージを持つのは誤りだ。この枠組みの実態は、融資・出資・保証を中心とした「お金の流れを後押しする仕組み」であり、実際に投資を行うのは企業やプロジェクト会社だ。JBIC(国際協力銀行)やNEXI(日本貿易保険)といった政策的な機関が、資金面の後ろ盾やリスク分担として関与する設計になっている。
投資の対象分野は、半導体、重要鉱物、エネルギー、AI・量子コンピューティングなど、「経済安全保障」上の戦略分野に絞られている。
(※経済安全保障とは、特定の国や地域の供給に依存しすぎている分野で、もし調達が途絶えたときに産業や国家機能が揺らぐリスクを最小化しようという考え方だ。半導体の材料や重要な鉱物の調達がその典型例として挙げられることが多い。)
第1弾「3プロジェクト」の顔ぶれ
では今回選ばれた3つのプロジェクトとは何か。規模の小さいものから順に見ていこう。
1. 工業用「人工ダイヤ」製造(約900億円規模)
ダイヤモンドと聞くと宝飾品を思い浮かべるかもしれないが、これは産業用の合成ダイヤモンド(人工ダイヤ)だ。自動車部品や航空機エンジン、半導体の製造ラインでは、超硬材料による精密な切削・研磨が欠かせない。その素材として、ダイヤモンドの硬度は他の追随を許さない。
報道によれば、この案件にはDe Beers(デビアス)系のElement Sixが関与しており、米国ジョージア州での事業とされている。日本側では、旭ダイヤモンド工業やノリタケといった企業が購入側として関心を示していると報じられている。
経済安全保障の文脈では、工業用ダイヤモンドの供給が特定国に偏ることへの懸念が背景にあるとされる。
2. 米国産原油の輸出インフラ(約3300億円規模)
米国テキサス沖で進むGulfLinkと呼ばれる原油輸出インフラ案件だ。Sentinel Midstreamという企業が運営を担うとされる。
日本側では商船三井、日本製鉄、三井海洋開発(MODEC)などが関与に関心を示しているとの報道がある。米国産のエネルギーを日本や世界に届けるための「出口インフラ」を整備するという性格を持つ。
米国産エネルギーとの結びつきを強化するという意味で、日本の調達構造の変化につながる可能性があると指摘する業界分析もある。
3. AIデータセンター向けガス火力発電(約5.2兆円規模)
3案件の中で圧倒的に規模が大きい。総額が5.2兆円規模に達し、今回の選定総額のほとんどを占める。
AI技術の普及にともなってデータセンターの電力需要が急拡大する中、オハイオ州ポーツマス近郊での9.2GW(ギガワット)級のガス火力発電所プロジェクトだ。報道によれば、ソフトバンク系のSB Energyが運営を担い、「最大級」の規模とされる。
日本側では、日立、三菱電機、ソフトバンクグループなどの関与が報じられている。発電機器の供給から、エネルギー管理システムに至るまで、日本の産業機器メーカーにとっての商機が広がるプロジェクトと位置づけられている。
(※東芝も関連機器供給への関心が報道で言及されているが、東芝は2023年12月に上場廃止となっており、現在は非上場企業だ。)
JBICが担う「リスクを潰す」という仕事
林総裁は会見で、こうも述べた。
「10年、20年、30年という長い期間にわたってプロジェクトは進む。アメリカではインフレやサプライチェーンなどが事業のリスクになるので、われわれの経験を生かし、リスクをつぶしていかなければならない」
金融の世界では、大型プロジェクトに銀行が融資できる状態を「バンカブル(bankable)」と呼ぶ。プロジェクトの収益性・契約内容・リスクの分担が整理されて初めて、民間金融機関は融資を実行できる。
長期にわたるインフラ案件では、為替変動、物価上昇(インフレ)、建設コストの超過、供給網の混乱など、数え切れないリスクが存在する。JBICは民間の金融機関と協力しながら、こうしたリスクを一つひとつ特定し、対処策を講じることで「融資可能な状態」を作り上げていく役割を担う。
(※JBICとは、日本企業の海外展開や戦略的な案件を、融資・保証・出資などで支える政策金融機関だ。民間銀行が単独では手を出しにくい大型・長期・リスクの高い案件に関与する点が特徴だ。)
「日本に有利」「米国主導」——評価が分かれる構図
この枠組みを巡っては、評価が一様ではない。
日本政府や関係機関は、経済安全保障の実現と日本企業(中小企業を含む)の商機拡大を強調する。米政権側は、雇用の創出と国内産業基盤の強化を成果として打ち出すトーンが目立つ。
一方、日本国内の識者や分析からは、いくつかの論点が指摘されている。
まず、投資先の最終選定は米大統領の関与する仕組みになっているという点だ。
ただし、この合意は覚書(MOU)にもとづく枠組みで、法的拘束力のある権利義務を直ちに生じさせるものではないと整理されている。日本は投資しない裁量を持つものの、合意の覚書プロセスで選定された案件に資金を出さない場合、関税引き上げが可能という条項が設計に織り込まれているとされる。
次に、利益の配分をどう読むかという問題がある。米側の資料として「一定の基準額(みなし配分額)に達するまでは50:50、その後は90:10」といった比率が報じられているが、「誰の取り分の90%なのか」——国家間の分配なのか、出資部分に関するものなのか——の解釈が不透明だという指摘もある。現時点では、この点の詳細は公式には明確にされておらず、「不明」と言わざるを得ない。
これは始まりにすぎない
今回選定されたのは、あくまでも「第1弾」の3案件だ。総額5,500億ドル(約80兆円)という枠組みの全体像からすれば、まだほんの入口にすぎない。
林総裁が会見で強調した「10年、20年、30年」という言葉が、このプロジェクト群の時間感覚を物語っている。AIデータセンターへの電力供給、重要鉱物の安定調達、エネルギーインフラの整備——これらは、現在の経済・安全保障の課題に対する長期的な解答を求める試みだ。
その成否が明らかになるのは、ずっと先の話になる。
(本稿は2026年2月26日の発表および関連報道を基に構成しました。利益配分の詳細など、現時点で公式な説明が不明な点は「不明」として記述しています。)

