研究開発に1兆円、賃上げに9,500億円——「見えない補助金」の実態と政府の次の一手

「税額控除(租税特別措置のうち、税を直接減らす仕組み)の合計が2兆円を超えた」と聞いたとき、どんな印象を持つだろうか。

「大企業が税金を逃れている」と感じる人もいるかもしれない。逆に「政府が産業を育てている」と見る人もいるだろう。実際のところは、その両方の要素が混じっている——そんな複雑な実態を示す調査データを、財務省が公表した。

対象となったのは法人税の租税特別措置、略して「租特(そとく)」と呼ばれる仕組みだ。


目次

「減税」ではなく「見えにくい支出」という見方

まず、租税特別措置とは何かを整理しておこう。

税金には、原則的なルールがある。ある行動をした企業には追加で課税し、別の行動をした企業には割引する——そういう「例外」を、特定の政策目的のために設けたのが租特だ。

たとえば「研究開発費を多く使った企業の税負担を軽くする」という措置がある。これは企業への減税だが、見方を変えると「政府が財布から補助金を出す代わりに、税収を諦めることで企業の行動を後押しする」とも言える。

このような税収の意図的な放棄は、タックス・エクスペンディチャー(税支出)という概念で整理される。補助金と違って予算書に「支出」として載らないため、見えにくい。しかし効果としては補助金と変わらない部分も多い。だからこそ財務省は毎年、「どの措置を、何社が、いくら使ったか」を調査・公表しているのだ。


2024年度の実態:2兆円超の税額控除

今回公表された調査は、2024年4月から2025年3月末に終了した事業年度の申告データに基づく。対象となった措置は76項目、適用額明細書の提出があった法人数は151万7,466法人、適用件数は251万3,286件にのぼる。

その中で、税を直接減らす「税額控除」(17措置)の控除額合計は、2兆164億円だった。

この数字をどう読むか。「2兆円規模の税額控除」は確かに大きい。しかし「2兆円が企業の懐に入った」わけではない。企業は研究開発や賃上げへの実際の支出をした上で、その一定割合分だけ納税額が減る。支出なしに控除だけ得ることはできない設計になっている(ただし後述のように「それでもどこまで効いているか」という問いはある)。


「研究開発税制」:1兆円という数字の重さ

2兆円の中で最も大きな割合を占めるのが、研究開発税制だ。

正式には「試験研究を行った場合の法人税額の特別控除」という名称で、企業が使った研究開発費の一定割合を法人税から差し引くことができる。この控除額が1兆69億円(前年度比590億円増)に達した。

一般型(全企業対象)に加え、中小企業向けの枠や、大学・公的機関との共同研究を対象とした「特別試験研究費」の区分などがある。それらを合算した数字が1兆円だ。

単年度で1兆円規模に達したことで、この数字の大きさが浮かんでくる。補助金や交付金ではなく、税の仕組みを通じて巨額の支援が静かに流れている。

政府はこの制度を「残す」どころか、さらに強化する方針だ。2026年度税制改正では「戦略技術領域型」という新しい枠が創設され、AI・量子コンピュータ・バイオテクノロジーといった分野の研究開発費に、より高い控除枠を設ける方向が打ち出されている。


「賃上げ促進税制」:9,500億円、しかし廃止へ

もう一つの主役が、賃上げ促進税制だ。

前年度より給与総額を増やした企業に対して、増加分の一定割合を法人税から控除するという仕組みで、控除額は9,560億円(前年度比2,282億円増)に拡大した。春闘での賃上げ機運が高まる中、この制度を活用した企業も増えた、という構図だ。

しかし政府の方針は、この制度を縮小・廃止する方向に転換している。

大企業向けは2026年3月末で廃止。中堅企業向けも要件を見直したうえで2027年3月末で廃止。研究開発税制が強化される一方、賃上げ促進税制は役目を終えるという判断だ。

背景にあるのは、「賃上げが広がりつつある」という認識だ。ここ数年、春闘を含め賃上げの動きが目立ち、「政策が呼び水として機能した部分は一定程度達成された」という見立てが政府にはあるとみられる。ただし、それが本当に「この税制のおかげ」なのかは、後ほど触れる「効果の測定」という難問とも絡んでいる。

なお、中小企業向けの賃上げ促進税制については別枠での継続が予定されている。


「減税が大きい=効果が大きい」とは限らない

ここで一つ、重要な論点を加えておく必要がある。

控除額が1兆円に達したからといって、それがそのまま「研究開発が1兆円分促進された」と解釈するのは早計だ。

なぜなら、この税制を使っている企業の中には、「税制がなくてもどうせやっていた研究開発」への支出も含まれている可能性があるからだ。政策用語でこれをデッドウェイト(死荷重)という。補助金でも税優遇でも、「その政策がなければしなかった行動」にのみ本当の意味で「効いた」と言える。

内閣府の「税制EBPM(エビデンスに基づく政策立案)」の議論でも、研究開発税制については「効果の測定方法」「対象費用の範囲」などが論点として整理されている。「お金が動いた」と「政策が効いた」の間には、慎重に埋める必要のある溝がある。

OECDも同様の問題意識を持ち、各国のR&D税額控除の設計と効果について比較調査を続けている。IMFは「補助金・税優遇を含む産業政策は効く局面はあるが万能ではなく、費用対効果の継続的な点検が重要」というスタンスを繰り返し示している。

海外の事例でいえば、英国でR&D税額控除の不正・運用ミスが多発し、制度の信頼性が問題になったという報道もある。制度を「作る」ことと「正しく機能させる」ことは、別の課題だ。


「重点化」という設計思想

今回の調査データと、それに続く税制改正の方向を並べると、一つの設計思想が見えてくる。

「使途によって差をつける」という発想だ。

賃上げ促進税制を段階的に廃止しつつ、研究開発税制を強化し、しかもその中でAI・量子・バイオという「戦略技術」に控除を厚くする——これは、「広く薄くばらまく」フェーズから「重点領域に集中させる」フェーズへの移行を示している。

どの技術が「戦略」かを政府が決めることへの疑問もある。それが正しく機能するかどうかは、今後の数年で検証されていくことになる。


「見えにくい支出」を見えるようにする意義

財務省が毎年この調査を公表するのは、単なる情報開示ではない。「租特は見えにくいが、実態を把握して必要な見直しをするための基盤」という位置づけだ。

今回の2兆円超という数字は、「企業が得をしている」とも「政府が産業を育てている」とも読める。しかしどちらかの極論に飛びつくより、「その措置は誰が、なぜ、どれだけ使っているか」を定期的に照らし合わせていくことが、健全な議論の出発点になる。

研究開発税制の1兆円が日本の技術力をどれだけ押し上げているか。賃上げ促進税制の9,500億円が実際に賃上げを引き出したのか。調査データはその問いへの入り口であって、答えではない。

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この記事を書いた人

CFP®/1級ファイナンシャルプランニング技能士
公益社団法人 日本証券アナリスト協会認定
・プライマリー・プライベートバンカー
・資産形成コンサルタント
一般社団法人金融財政事情研究会認定
・NISA取引アドバイザー

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