インフレ時代、小売業は生き残りをかけて再編へ──世界各地で進むM&Aの波

「人手も資材も、もう高すぎて店が出せない」。そんな現場の声が、いま日本のドラッグストアやスーパーマーケットから聞こえてくる。人件費や材料費、さらには物流コストまでが高騰し、新規店舗の出店がかつてないほど困難になっている。

だがこの問題は、日本国内だけの話ではない。世界中の小売業が、同じようにインフレという共通の壁に突き当たっている。そんな中、浮上してきたのが「M&A(企業の合併・買収)」という選択肢だ。

出店をあきらめ、買収で成長を図る。いま、小売業は“拡大”から“生存”へと戦略の舵を切り始めている。


第1章:日本の現実──M&Aでしか広げられないビジネスモデル

少子高齢化と人口減少が進む日本では、元々マーケットが大きく広がる余地が少ない。そこに人手不足とコスト高が重なり、「出店しても利益が出にくい」という構造的な問題が浮かび上がっている。

そんな状況で先手を打ったのが、ドラッグストア業界だ。事例を整理すると、以下のような動きが見えてくる。

  • マツモトキヨシホールディングス:2025年、東京都多摩市で調剤薬局「丘の上薬局」を運営するティー・エム・シーを買収し、地域密着の処方対応力を強化。
  • スギホールディングス:阪神調剤薬局を運営するI&H株式会社を子会社化し、関西エリアでの調剤ネットワークを拡充。
  • ウエルシアホールディングス:東京電力グループの介護事業会社・東電パートナーズを買収し、「調剤+介護+ドラッグストア」という三位一体型の地域包括ケアに舵を切る。

これらの動きに共通するのは、「新たに出店するより、既にある基盤を買うほうが速くて確実」という判断だ。これはもはや成長戦略ではなく、生き残るための“持続戦略”と呼ぶべきものだろう。


第2章:アメリカでも止まらない再編──小売大手も「守りから攻めへ」

アメリカでも同じような構図が広がっている。物価高、賃金高騰、そして物流費の上昇。2024年のアメリカでは、企業のM&A件数が前年比で20%増加するとEYが予測している。

代表的な事例を見てみよう:

  • Kroger × Albertsons:大手スーパーチェーン同士の巨額合併案。実現すればウォルマートに次ぐ食品スーパーが誕生する。
  • Aldi × Southeastern Grocers:ドイツ系ディスカウントチェーンAldiが米南部の一部店舗を買収し、全米展開を加速。

大手・中堅を問わず、「どこで、どれだけ早く、どう守るか」が問われる時代。M&Aは攻めのための道具ではなく、“標準装備”としての機能を持ち始めている。


第3章:欧州の動き──物価高と競争激化で“連携”が生存戦略に

インフレ率が長期化する欧州でも、業界の再編は続く。

  • Mars × Kellanova(旧ケロッグ):食品大手Marsがスナック食品大手に買収提案。
  • Carlsberg × Britvic:デンマークのビール大手Carlsbergが英国清涼飲料大手に買収アプローチ。
  • Carrefour × Louis Delhaizeグループ:フランスのCarrefourが、ハイパーマーケットやスーパーを複数買収し、ドミナント戦略を強化。

背景には、EU圏内の競争激化と物価上昇、消費者行動の変化がある。企業単独では立ち向かえない環境が、M&Aを常態化させているのだ。


第4章:アジア太平洋圏──“静かな再編”の兆しと地域差

アジア太平洋でも、国ごとに事情は異なる。

  • 日本ではドラッグストアを中心にM&Aが加速。
  • オーストラリアでは逆に、インフレと高金利の影響で小売業界のM&A件数が32%減少(2023年末までの18カ月間/Grant Thornton調査)。

景気回復のテンポや消費者心理、政策金利といった要素が、各国の再編スピードを大きく左右している。


第5章:そして生活者へ──M&Aが変える“地域”と“選択肢”

企業の戦略としてのM&Aは理にかなっている。だが、その影響は“店舗の看板が変わる”だけでは終わらない。

買収によって地域の老舗薬局やスーパーが全国チェーンに吸収されれば、

  • お年寄りに優しい配達サービスがなくなった
  • 地元密着の相談窓口が減った
  • 商品ラインナップが画一化された といった“生活の違和感”が静かに広がっていく。

また、競合が減れば選択肢も減り、価格競争力も失われるリスクがある。M&Aは、企業の側面から見れば合理的だが、地域社会や消費者には“副作用”を残す可能性があることも忘れてはならない。


おわりに:M&Aは“成長”の手段から“持続”のための選択肢へ

かつて、M&Aは企業が新市場に進出したり、新ブランドを手に入れるための“成長戦略”の一部だった。

しかし今、それは“持続可能な経営”のための戦術に変わりつつある。

コスト高、競争激化、人材難──小売業はかつてない逆風の中にいる。だがその中で、各国の企業が「手を組む」ことで道を開こうとしている。

そしてその波は、企業の枠を超えて、私たちの暮らしの風景にも変化をもたらしている。世界で進むM&Aの再編は、その国だけの問題ではない。日本もまた、この“世界的な現実”の中で、次の一手を問われている。

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この記事を書いた人

CFP®/1級ファイナンシャルプランニング技能士
公益社団法人 日本証券アナリスト協会認定
・プライマリー・プライベートバンカー
・資産形成コンサルタント
一般社団法人金融財政事情研究会認定
・NISA取引アドバイザー

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