EU議会が米欧貿易法案を可決──関税撤廃と「逃げ道」の両立が示すもの

3月26日、欧州議会(EU=ヨーロッパ連合の立法機関)は、アメリカとの間で昨年合意した貿易枠組みを実施するための法案を、賛成多数で可決した。法案の骨子は「アメリカからの工業製品にかけているEUの関税を撤廃する」ことだが、それだけで終わらないのが今回の注目点だ。同じ法案の中に、アメリカが新たな関税を課した場合に今回の関税優遇措置を停止できる条項──いわば「離脱ボタン」──が盛り込まれている。

「承認したけれど、信用はしていない」。そう表現したくなるが、より正確には、EUはアメリカ側の再翻意リスクを法案そのものに織り込んだ、と言ったほうが実態に近い。合意を進めながら、同時に撤退の選択肢を制度として確保する──今回の欧州議会の行動は、そうした二重の構造を法律の形に落としたものだ。


目次

そもそも何が合意されていたのか

話の出発点は、2025年7月にホワイトハウスとEUの間で交わされた政治合意だ。

アメリカ・トランプ政権は貿易赤字を問題視し、多くの国からの輸入品に高い関税を課していた。EUとの交渉では、アメリカはEUからの輸入品への関税をおおむね15%程度に抑える上限を示す代わりに、EU側はアメリカ製工業製品への関税撤廃など市場開放を進める方向で折り合った。

ただし、政治合意があっただけではEUの法律は変わらない。実際に関税を変えるためには、欧州委員会(EUの行政機関)が法案を提案し、欧州議会と各加盟国が正式に法制化を進める必要がある。今回の採決は、その法制化プロセスの重要な関門に当たる。

欧州委員会で貿易を担当するシェフチョビッチ委員は可決を受けて「重要な一歩だ」と述べ、「企業にとっての予測可能性を高めたい」と意義を語った。


なぜ採決が2度延期されたのか

この法案は昨年の合意後から審議が始まっていたが、採決は2度にわたって延期されていた。

最初の延期の背景にあったのは、トランプ大統領がデンマーク自治領グリーンランドへの関心を示し、一部の国への新たな関税を示唆したことへの反発だ。欧州議会としては、「合意の前提が揺らいでいる」と判断し、採決を見送った。

ただ、欧州議会の内部文書を見ると、不信の根はグリーンランド問題だけにあるのではない。米国内でも、トランプ政権が関税を課す際に使っている法的根拠(IEEPA=国際緊急経済権限法)について、米連邦最高裁が疑義を示した局面があり、欧州議会はこれを受けて「そもそも合意の法的基盤が不安定ではないか」と審議を一時停止した経緯がある。

要するに欧州議会が慎重だったのは、「グリーンランドの発言に怒った」という感情的な話ではなく、「アメリカは政治的にも法律的にも、条件をひっくり返しうる」という冷静な評価に基づくものだったと読める。


法案の核心は「承認」より「保険」

今回可決された法案に組み込まれた停止条項は、大きく2種類ある。

一つは、アメリカが新たな関税を課したり、EU企業を差別的に扱ったりした場合に、今回の関税優遇措置を停止できる条項だ。もう一つは、アメリカからの輸入が急増してEU域内の産業に深刻な影響が出る恐れがある場合に、関税の引き下げを一時停止できる条項だ。

これらの条項が入ったことで、今回の法案は「自由貿易への前進」というより、「予測不能な米通商政策に対する損失を限定する仕組み」という性格を帯びている。EUが本当に守りたいのは「アメリカの関税が悪化した場合に備えて、巻き戻しの余地を法的に確保すること」に近いともいえる。

欧州委員会が合意の意義を説明する際に使う言葉が「安定性と予測可能性(stability and predictability)」というのは、この感覚を正直に表現している。自由化への熱意というより、「これ以上悪くしない」という現実的な着地点として合意を位置づけているのだ。


今後の手続きと不確定要素

欧州議会の採決を経て、法案は次のステップへ進む。今後、欧州議会は加盟国側との協議・最終承認を経て法律として発効させる手続きを踏む予定だ。この段階がまだ残っているため、法律として完全に機能するまでにはさらに時間がかかる。

また、米側の動向も引き続き変数となる。今回の停止条項の存在は、EUがアメリカの再エスカレーションをゼロとは見ていないことを示している。法案が通過してもなお、米欧の貿易関係は「合意した」から「安心した」へ移行しているわけではない。

EUはアメリカとの合意を形にしながら、同時にその合意が崩れた場合の備えを法律に埋め込んだ。今回の欧州議会の採決が示しているのは、信頼の回復ではなく、条件付きの再始動だといえる。

(本稿は各種公開情報をもとに作成しました。一部数値は記事掲載時点の情報です)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

CFP®/1級ファイナンシャルプランニング技能士
公益社団法人 日本証券アナリスト協会認定
・プライマリー・プライベートバンカー
・資産形成コンサルタント
一般社団法人金融財政事情研究会認定
・NISA取引アドバイザー

目次