2026年2月20日、高市早苗首相は特別国会で初めての施政方針演説を行った。文字数にして約1万2900字。この演説は、単なる「政府のお約束リスト」ではない。今後の日本社会の形を左右する、いわば「国家の設計図」だ。
その設計図には何が描かれているのか。私たちの暮らしや資産運用にどんな影響が出てくるのか——難しい政策用語を一つひとつ噛み砕きながら、要点を整理する。
まず「施政方針演説」とは何か?
国会が開会すると、首相は「施政方針演説」と呼ばれるスピーチを行う慣例がある。政府がこれから1年間で「何を重視し、何をやるか」を宣言する場だ。
ただし、演説の内容はあくまでも「方針」であり、「法律」ではない。実際に効力を持つのは、その後に国会で審議・成立する予算案や法案、税制改正の段階だ。
つまり演説は「材料の出発点」。ここから先、「本当にお金がついたか」「制度が条文になったか」を追うことが重要になる。
演説の核心:「責任ある積極財政」とは何か
高市首相が演説全体を通じて強調したのが**「責任ある積極財政」**というキーワードだ。
「長年続いてきた過度な緊縮志向、未来への投資不足の流れを断ち切る」
この言葉の背景を理解するには、日本経済の現状診断を知る必要がある。日本の潜在成長率は主要先進国と比べて低迷しているが、技術革新力や労働の効率性など個々の指標は他国と遜色がない——高市政権は「圧倒的に足りないのは国内投資だ」と診断している。
財政健全化の目標を重視してきた結果として、民間の設備投資や研究開発を後押しする政府支出が積み上がりにくい局面が続いてきた、というのが政権の問題意識だ。その転換として「政府が先に投資し、民間の背中を押す」という発想が「積極財政」の意味である。
ただし、単なる財政拡張ではない点が「責任ある」という言葉に込められている。高市首相は次の規律もセットで明言している。
- 債務残高の伸び率を成長率の範囲内に抑える
- 政府債務残高の対GDP比を安定的に引き下げる
- 進捗を測る具体的な指標を明確化する
この「拡張と規律の両立」をどう制度に落とし込むか——それが今後の骨太方針や予算編成で具体化されていく。
予算の「作り方」が変わる
投資家にとって特に重要な変更がある。それは予算編成の方式そのものの転換だ。
従来の日本では、年度途中に「補正予算」が組まれることが恒常化し、民間企業も「どうせ年度末に追加がある」という前提で動いてきた。これでは企業が数年単位の設備投資や研究開発の計画を立てにくい。
高市首相はこの慣行を改め、**「必要な予算を可能な限り当初予算で措置し、複数年度予算や長期基金で投資の予見可能性を高める」**と明言した。「約2年がかりの大改革」と位置づけており、令和8年度予算がその出発点となる。
**「予見可能性」**とは、企業が将来の政府支出の規模・方向を事前に読めることだ。これが確保されると、民間企業も安心して長期の投資計画を立てられる。政策需要が「継続する」ものと見なされるため、関連産業への投資判断にも好影響をもたらしやすい。
私たちの財布に直接関係する話
政策の大きな枠組みを踏まえた上で、最も身近な家計への影響を見ていこう。
① 「103万円の壁」が178万円へ
パートや副業をしている人には馴染み深い「103万円の壁」という言葉がある。年間収入が103万円を超えると所得税がかかり始め、配偶者控除にも影響が出るため、多くの人が意図的に働く時間を抑えてきた”見えない天井”だ。
高市首相はこれを178万円に引き上げると明言した。いわゆる「働き控え」の解消と手取り増加が目的で、パートタイム労働者や扶養内で働く配偶者にとっては、より多く働けるようになるチャンスだ。
一点補足しておくと、「壁」は所得税・配偶者控除だけでなく、住民税(100万円)や社会保険(106万円・130万円など)にも関連する。それぞれの壁で影響が異なり、世帯構成や勤務先の規模によって実際の手取り変化は変わってくる。今回の改正で「どの壁がどう動くか」の詳細は、今後の法案・制度設計で確定する。
② 食料品の消費税が「2年間ゼロ」になる可能性
現在、食料品には軽減税率として8%の消費税がかかっている。高市首相はこれを2年間に限り「ゼロ」にすることを検討加速すると述べた。財源については「特例公債(赤字国債)には頼らない」と明言しており、夏前に中間とりまとめ、その後の早期法案提出を目指す。
仮に実現すれば、毎日の食費負担は目に見えて減る。月5万円の食費なら、単純計算で月4,000円・年間4万8,000円の節約になる計算だ。
財源の具体的な組み方は今後の議論で確定する。野党の協力が得られれば夏前の中間取りまとめというスケジュールが示されており、議論の進み方が注目される。
③ ガソリン価格の継続的な低下
昨年の臨時国会で、ガソリン・軽油にかかっていた暫定税率が廃止された。この恩恵はすでに価格に反映され始めており、今後も効果が続く見込みだ。
「成長のスイッチを押しまくる」——17の戦略分野
高市首相は演説の中で「成長のスイッチを押して、押して、押して、押して、押しまくってまいります」と力強く語った。
具体的には、AI、半導体、造船、量子技術、宇宙、創薬、コンテンツなど17の戦略分野に対して、税制優遇・規制改革・人材育成・政府調達など多角的な支援を集中投下する。
官民投資のロードマップは来月から順次提示され、この夏取りまとめる「日本成長戦略」では民間投資の誘発規模やGDP・税収への寄与を定量的に示すとしている。「支援策がどれだけ経済規模の拡大につながるか」を数字で見せることで、企業の投資判断を後押しする設計だ。
エネルギー政策——電気代とエネルギー安全保障
家計にも企業にも影響が大きいのが電気代だ。
高市首相は「安定的で安価な電力供給」を重視し、安全性が確認された原子力発電所の再稼働を加速する方針を示した。さらに、廃炉が決まった原発の跡地に「次世代革新炉」を建設することの具体化も進める。
再生可能エネルギーについては積極的に推進しながらも、特に太陽光発電に関して安全規制・環境アセスメントの強化、支援制度の見直し、パネルのリサイクル制度創設を打ち出した。サプライチェーンの国産化(ペロブスカイト太陽電池など)も進める方針だ。
未来のエネルギーとしては「核融合(フュージョンエネルギー)」の早期社会実装、水素社会の実現、そして南鳥島周辺の海底に眠るレアアース資源の活用も掲げた。エネルギーの安定供給と脱炭素を両立させる「日本ならではの道筋」を描こうとしている。
外交・安全保障——安心できる国際環境をつくる
「安全保障は自分には関係ない」と思いがちだが、地政学的なリスクは物資の価格、為替レート、投資環境に直結する。
現在の国際環境は、中国の海洋進出、北朝鮮の核・ミサイル開発、ロシアのウクライナ侵略など、戦後最も不安定な時期だ。こうした中で高市首相が掲げるのが**「責任ある日本外交」**だ。
日米同盟の強化を外交の基軸とし、可能であれば来月にもトランプ大統領と会談して信頼関係を深める。日米韓・日米豪印など多角的な安全保障協力も深化させる。
中国に対しては「戦略的互恵関係を包括的に推進し、建設的かつ安定的な関係を構築する」という一貫した方針のもと、意思疎通を継続しながら国益の観点から冷静に対応する立場だ。
北朝鮮の拉致問題については「全ての拉致被害者の帰国を、私の任期中に実現したい」と強い言葉で宣言。金委員長との首脳会談を含めあらゆる選択肢を排除しない姿勢を示した。
「日本版CFIUS」とは何か
演説の中で「日本版CFIUS(対日外国投資委員会)」という言葉が登場した。
CFIUSとは米国の「対米外国投資委員会」のことで、外国企業が安全保障上の重要な米国企業を買収しようとする際に審査する機関だ。日本もこれに倣い、外国資本による重要企業・インフラへの投資を安全保障の観点から審査する仕組みを創設する。
国内の重要技術・重要インフラを持つ企業にとっては「守り」の制度整備となる一方、M&A(企業の合併・買収)案件の審査期間や条件が変わる可能性もある。制度の詳細(審査対象・基準・手続き)は今後の法案で確定する。
資産運用をしている人が特に注目すべきポイント
政策需要が期待される分野
政府が予算・規制改革・政府調達を本格投入すると、特定の産業に継続的な「政策需要」が生まれやすい。今回の演説から期待される分野を整理する。
防衛・宇宙・サイバーセキュリティ:安保3文書の前倒し改定、「航空宇宙自衛隊」への改編、宇宙作戦集団の新編。調達の中身が固まるにつれ需要が可視化される。
AI・半導体・情報通信インフラ:17の戦略分野への集中投資。データセンター、光通信網、電力インフラの整備も連動する。
エネルギー・重電:原発再稼働・次世代革新炉・再エネ国産化で、業界の構造が変わる可能性がある。
建設・防災インフラ:防災庁設立と事前防災・予防保全の本格化で、単発復旧ではなく継続的な保守・更新需要が増えやすい。
農業・食品・物流:スマート農業投資、コメ備蓄制度の整備、輸出拡大支援が複数年にわたって続く方針。
投資家が見るべき「3つの分水嶺」
市場全体の方向感を左右するポイントとして、以下の3点が特に重要だ。
① 長期金利(10年国債利回り)の動向:積極財政と財政規律の両立が市場に信じてもらえるかが、長期金利の上下を左右する。金利が上がれば株式の割引率(将来利益を今の価値に換算する率)も上がり、特に成長株の評価に影響が出る。住宅ローン金利や不動産価格とも連動する。
② 財政ルール(指標)の実効性:演説では「債務残高の対GDP比を安定的に引き下げる指標を明確化する」と宣言した。この指標が骨太方針でどう設計されるか——数値目標の有無、達成できなかった場合の対応——が、市場の信認を形成する鍵になる。
③ 食料品ゼロ税率の財源の性質:「特例公債に頼らない」と明言しているが、具体的に何が財源になるかは夏の議論待ちだ。恒久的な財源か、一時的な財源かで、財政への影響の評価が変わってくる。
「演説の次に見るべき資料」チェックリスト
演説は出発点に過ぎない。投資判断の材料として重要なのは以下の順で確認する書類だ。
- 令和8年度当初予算案:どの分野にいくら付いたか。補正前提の慣行を改めると宣言した以上、ここが政策本気度の最初の試金石になる
- 税制改正関連法案:178万円の壁と食料品ゼロ税率が条文でどう確定するか
- 骨太方針(夏):中期の財政運営の枠組みと財政指標が言語化される
- 日本成長戦略(夏):17分野の官民投資規模が「定量的に」示される予定
国内外メディアはどう報じたか
国内メディア:政策の多さと実現スケジュールに注目
テレビ朝日は演説の政策の多彩さと、国会審議のスケジュール、財源確保の検討状況を中心に報じた。TBSは積極財政の設計と財政規律の両立という論点を深掘りし、専門家の見方を紹介した。
海外メディア:「市場の信認」と「日銀との関係」を軸に
ロイターは「市場の信認が確保できるか」を中心軸に報じ、財政拡張の規模と規律の設計に注目した。安全保障面では「日本版CFIUS」「情報機関の再編」「経済安全保障」を一体のテーマとして取り上げた。
TIME誌(米)は政策の細目より、高市首相のリーダーシップの方向性と、日本が国際社会でどんな役割を果たそうとしているかを描いた。
なお、IMF(国際通貨基金)は財政運営と日銀の独立性について定期的に提言を行っており、今後の政策設計においても一つの外部参照として扱われる。
最後に:「希望」を数字で見せる夏
演説の締めくくりで高市首相はこう語った。
「挑戦しない国に未来はありません。守るだけの政治に『希望』は生まれません」
今年初めて投票した18歳も、生まれたばかりの赤ちゃんも、22世紀を迎える可能性がある。その時に「日本が安全で豊かであるように」——この言葉に込められた思いは、与野党を超えて誰もが共有できるものだろう。
演説が描いた設計図が現実になるかどうかは、財政の数字、税制の条文、予算の中身、国際交渉の結果——そのすべての積み重ねにかかっている。
この夏に出てくる「骨太方針」「日本成長戦略」「税制改正の中間とりまとめ」が、演説の”答え合わせ”の場になる。それらの資料を確認しながら、自分の生活や資産との関わりを継続的に追っていくことが、政策を活かすための実践的なアプローチになる。
本記事は高市首相の施政方針演説全文および各種メディア報道をもとに作成しました。個別の投資判断については、必ず自己責任にて行ってください。

