王室も政界も震撼——エプスタイン文書が突きつける、英国権力層の「説明責任」

2026年2月、米司法省がエプスタイン事件に関連する膨大な資料を公開した(司法省の説明では累計約350万ページ)。その中には、かつて世界中を騒がせた性的搾取事件の中心人物ジェフリー・エプスタインをめぐり、英国の王室と政界に関わる著名人の名前や記録が複数含まれていた。大西洋を越えて届いた波紋は、バッキンガム宮殿から英国議会まで、英国社会の中枢を静かに——しかし確実に——揺さぶっている。

目次

【エプスタインとは何者か】

■金と人脈で権力層に食い込んだ男

ジェフリー・エプスタインは米国の金融業者だった。未成年者を含む性的搾取と人身売買への関与が疑われ、2008年に有罪判決を受けた。2019年には再逮捕され、拘置所の中で死亡。当局は自殺と結論づけたが、その死をめぐっても疑念は消えなかった。

彼が「ただの犯罪者」ではなかった理由は、その人脈にある。莫大な資産を背景に、政財界から王室まで、世界各国の権力者と深く交わっていた。そのネットワークの全貌を解き明かそうとする試みが、今回の大規模な文書公開へとつながった。

公開された資料には、メールのやり取り、財務記録、写真——そして権力者たちの名前が、繰り返し登場する。ただし、ここで大切な前提がある。文書に名前が載っていることは、犯罪行為の証明ではない。文脈が欠けた資料や未確認の記録も多く混在しており、「疑義が深まった」ことと「事実が確定した」ことは、慎重に区別して読む必要がある。

【王族の影——アンドリュー王子をめぐる疑惑】

■「関係を断った」はずだった

アンドリュー・マウントバッテン=ウィンザー。エリザベス2世の次男であり、チャールズ3世の弟にあたる元王族だ。「ヨーク公爵」として知られ、海軍ではフォークランド紛争にも従軍した。2001年から2011年ごろには英国の貿易・投資の特別代表としての役割も担い、王室の”顔”として対外活動を続けた人物である。

エプスタインとの関係が長年問題視されてきた彼は、2019年のBBCインタビューで「2010年以降はエプスタインとのいかなる関係も断った」と明言した。しかしその主張を揺るがす記録が、今回の文書公開で次々と浮上している。

英国メディアは、2011年にアンドリューがエプスタインへ再び連絡を取り、「緊密に連絡を取り合いましょう」「共にこの状況にいます」と伝えていたと報じた。さらに今回公開された2010年8月のメールでは、エプスタインが「賢く、美しく、信頼できる」と形容する26歳のロシア人女性とのロンドンでの夕食にアンドリューを招待し、アンドリューが「お会いできて嬉しいです」と応じるやり取りが記録されていた。

■写真が示す「もう一つの問い」

今回の文書にはさらに、日付不明の写真3枚も含まれていた。そこにはアンドリューとみられる人物が、身元不明の人物の傍らにいる場面が写っている。写真のキャプションや背景情報は公開時には示されておらず、不正行為を直接示すものではないと説明されているが、その存在自体が大きな波紋を呼んでいる。

テムズバレー警察は、「2010年にウィンザーの住所に性的目的で連れ込まれたとされる女性に関する報告を現在精査中」と発表。英国のスターマー首相もアンドリューに対し、「情報を持っている人は誰でも求められれば共有する覚悟を持つべきだ。そうしなければ被害者中心にはなれない」と、名指しで米議会での証言・協力を促す異例の発言を行った。

エプスタインの著名な告発者の一人であるバージニア・ジュフリーは、2025年4月に自死したと報じられている。彼女は死後に出版された回顧録の中で、17歳の時にアンドリューから性的虐待を受けたと改めて告発している。アンドリューはジュフリーとの面識を否定し続けているが、2022年に彼女の提起した民事訴訟を数百万ドルを支払って和解したとも報じられている。

【元公爵夫人の孤独——サラ・ファーガソンの場合】

■「兄のような存在」と書いたメール

サラ・ファーガソン。アンドリュー王子の元妻で「ファーギー」の愛称で親しまれた女性だ。1986年に結婚し「ヨーク公爵夫人」となったが、1996年に離婚。その後は作家やメディア出演、ビジネスなど多彩な活動を続けてきた。

今回の文書に記されていたのは、エプスタインに宛てた彼女の率直すぎるほどの言葉だった。2009年8月に送ったメールには「あなたとランチをしてからたった1週間で、エネルギーが湧いてきました。ずっと憧れていた兄でいてくれてありがとう」と綴られていた。さらに2010年1月には「あなたは伝説です。結婚してください」とまで書いている。

■経済的苦境と金銭の授受

しかし、これらのメールの背景にあったのは親しみだけではなかったかもしれない。2009年10月、彼女はエプスタインに「家賃として至急2万ポンドが必要で、家主が支払わなければ新聞社に訴えると脅している」と金銭的な援助を求めている。

それよりも以前、2001年には既にエプスタインがファーガソンの株式オプションの換金を手伝った後に15万ドルを送金していた記録もある。エプスタイン側のメールには、自らの評判を回復するために彼女を利用しようとした形跡も残っていた。

今回の騒動を受け、ファーガソンの慈善財団「サラズ・トラスト」は「数か月の協議を経て当面の間閉鎖する」と発表。王室スキャンダルの余波は、彼女の現在進行形の活動にも直撃している。

【「闇の王子」の失墜——マンデルソンの場合】

■英国政界の中枢を歩んだ男

ピーター・マンデルソンは、英国政界の「超大物」という言葉がよく似合う人物だ。ブレア政権・ブラウン政権で要職を歴任し、EUでは欧州委員(通商担当)も務めた。2008年からは貴族院(上院)議員となり、長く政界に影響力を保ち続けた。その権謀術数ぶりから「闇の王子」と呼ばれることもあった。

今回の文書では、エプスタインの50歳の誕生日を記念したアルバムに、マンデルソンが「私の親友」と自筆で記していたことが改めて注目された。それ自体は以前から知られていたが、今回はさらに深刻な疑惑が浮上している。

■機密情報の漏洩疑惑

最も問題視されているのが、政府の機密情報をエプスタインへ流していた可能性だ。2009年当時ビジネス担当大臣だったマンデルソンが、200億ポンドの資産売却計画など英国政府の機密文書をエプスタインに送っていた疑いがある。さらに、銀行員ボーナスへの追加課税計画、EUの5000億ユーロ規模の救済策についても、発表前に情報を伝えていたとみられるやり取りが文書に残っていた。

金銭面でも記録が残っている。マンデルソン自身が2003〜2004年にかけてエプスタインから計7万5000ドルの支払いを受けた可能性が財務記録に示されているほか、彼のパートナーも複数回にわたってエプスタインから送金を受けていたことが公開資料から明らかになった。マンデルソン側は「記録も記憶もない」と否定している。

■最も速く動いた「結末」

3人の中で、現時点で最も具体的な結果が出ているのがマンデルソンだ。ロンドン警視庁は最新の公表を受けて、公職における不正行為の疑いに関する複数の通報を受け、情報を精査するとしている。ゴードン・ブラウン元首相も、機密情報漏洩疑惑に関する情報を提供するため警視庁に書簡を送ったと報じられている。マンデルソンは日曜日に労働党を離党し、「党にこれ以上の恥辱を与えたくない」と述べた。翌水曜日には貴族院も辞任する予定が発表された。

【この事件が問いかけるもの】

■「知っていること」と「証明されること」の間で

今回の文書公開は、英国社会に大きな問いを投げかけている。ただし、繰り返し強調しておきたいのは、「文書に名前が載っている」ことと「犯罪行為が証明された」ことは、まったく別の話だということだ。今回公開された資料は膨大かつ断片的で、文脈が欠けた記録や未確認情報が多く含まれる。

それでもなお、問われるべきことはある。公的な役割を担う人物が、どのような人物と、どのような関係を持っていたのか。国家の機密に近い立場にある人間が、その情報をどう扱っていたのか。説明責任、すなわち「何があったのかを社会に対して説明する義務」は、犯罪とは独立して存在する。

■被害者という視点を忘れないために

スターマー首相の言葉が象徴的だ。「被害者中心にならなければならない」——権力者たちのスキャンダルとして消費されやすいこの事件の本質は、実際に傷ついた人々がいるという事実だ。バージニア・ジュフリーをはじめ、エプスタインによる被害を訴えてきた女性たちの声は、どれほど著名な名前が飛び交っても、忘れてはならない軸である。

今回の騒動は英国だけの話ではない。公開された資料は、権力と近い場所にいた人々に対し、「何を知り、どう関わっていたのか」を説明する責任を、静かに突きつけている。

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この記事を書いた人

CFP®/1級ファイナンシャルプランニング技能士
公益社団法人 日本証券アナリスト協会認定
・プライマリー・プライベートバンカー
・資産形成コンサルタント
一般社団法人金融財政事情研究会認定
・NISA取引アドバイザー

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