【はじめに:「双方にメリット」をどう検証するか】
2026年2月18日、東京・霞が関の記者会見室。赤澤経済産業大臣は記者団の前に立ち、言葉を選んだ。
「相互利益の促進、経済安全保障の確保、経済成長の促進といった意義にかなった内容だ」
同じ頃、太平洋の向こうでは、トランプ大統領がSNSに投稿していた。「日本との巨大ディールが動き出した」。
日本から米国への対米投資枠(5,500億ドル=約80兆円規模)の第1弾として、3つのプロジェクトが選ばれた。しかし、80兆円という数字は独り歩きしやすい。重要なのは「大きい・小さい」ではなく、契約条件と事業採算の設計が日本側の利益——回収・受注・調達安定——につながるかどうかだ。今回の3案件は、その最初の試金石になる。
【まず押さえるべき前提:80兆円は「政府が配るお金」ではない】
「80兆円の投資」と聞くと、日本政府が米国へ巨額の資金を直接支出する印象を持つ人もいる。しかし今回の枠組みは、JBIC(国際協力銀行)やNEXI(日本貿易保険)など政府系金融を通じて、民間資金も呼び込みながら米国内プロジェクトに投融資・保証を行う設計と説明されている。
銀行が企業に融資するイメージに近く、片山財務大臣も「返済を受けられる仕組みになっている」と述べている。建前としては「回収可能性」を前提にした枠組みだ。
ただし、「返ってくる設計」と「実際に返ってくる」は別の話だ。回収できるかどうかは制度の説明では決まらない。個別案件の採算、契約、そして回収順位——損が出たとき誰が先に取り分を得るのか——で結果は変わる。
【もう一つの前提:通商交渉とセットで動く投資枠】
この投資枠は、日米間の関税(自動車関税や相互関税など)をめぐる合意と並行して整理され、2025年9月に「了解覚書」として文書化された経緯がある。投資対象はエネルギー、AI、重要鉱物など経済安全保障上の重要分野が中心で、日米双方の委員会を経て、最終的に米大統領が選定する仕組みだとされる。
つまり、純粋な投資案件というよりも、通商・安全保障を含む政策パッケージの一部として動いている。この構造は重要だ。最終選定権を大統領が握る以上、今後の案件選定が採算性だけで決まらない可能性を最初から織り込んでおく必要がある。
【第1弾の3案件:何に投資し、どこで利益が出るのか】
第1弾として示された3案件の投資総額は約5.6兆円。内訳は、天然ガス火力(約5.2兆円)、原油輸出インフラ(約3,300億円)、人工ダイヤモンド製造設備(約900億円)とされる。
以降は「収益源」「日本側の取り分」「失敗パターン」「日本企業の受注余地」の4点で整理する。
【プロジェクト1:オハイオ州の天然ガス火力(9.2GW規模)】
アメリカ中西部・オハイオ州。AI処理を担うデータセンターが乱立するこの地域では、電力不足が深刻なボトルネックになっている。そこに登場するのが、今回最大の案件——9.2GW規模の天然ガス火力発電所だ。原発1基を約1GWとすれば、9基分に相当する計算になる。
■ 収益源
電力販売が柱になる。特に大規模データセンターや製造業向けに、長期の電力購入契約(PPA)などを確保できるかが収益安定の鍵だ。「AIブームが続く限り電力は売れる」という前提が崩れると、この案件全体が揺らぐ。
■ 日本側の取り分の出どころ
日本側の利益は、融資の利息収入や保証スキームの回収に加え、発電・送配電関連機器の受注が現実化するかどうかにかかる。政府発表では、ソフトバンクグループ(東証プライム 9984)が中心となり、日立製作所(東証プライム 6501)、三菱電機(東証プライム 6503)、東芝(東証プライム 6502)などが機器調達を検討するとされる。変圧器・遮断器・制御システムなど、日本の電機メーカーが強みを持つ領域だ。
■ 失敗パターン(焦げ付き)
データセンター需要が想定を下回ると、電力販売が伸びず採算が崩れる。許認可の遅延、送電網整備の遅れ、燃料価格の上振れはプロジェクトファイナンスでは典型的なリスクだ。需要先が少数に偏れば、相手の信用悪化が直撃することもある。
■ 日本企業の受注余地
「検討」がそのまま「契約」になるとは限らない。現地調達比率、価格条件、納期条件などで受注が削られる可能性も見ておく必要がある。
【プロジェクト2:湾岸の原油輸出インフラ】
アメリカ南部の湾岸沿岸。年間200〜300億ドル分の原油を世界に送り出す巨大な輸出ターミナルが建設される。米国の「エネルギー覇権強化」という政策目標と、日本の資金が結びついた案件だ。
■ 収益源
港湾・積み出し設備の使用料や、貯蔵・荷役などターミナル収入が中心になる。長期の利用保証契約をどれだけ積めるかで、収益の固さが変わる。
■ 日本側の取り分の出どころ
融資回収に加え、船舶・鋼材・港湾設備など「供給側」として日本企業がどれだけ食い込めるかが重要になる。関心企業として、商船三井(東証プライム 9104)、日本製鉄(東証プライム 5401)、JFEホールディングス(東証プライム 5411)、三井海洋開発 MODEC(東証プライム 6269)などが言及されている。融資リスクを負う立場と、受注で稼ぐ立場は同一ではない。この切り分けが、日本側の実質的な利益を評価する上で重要だ。
■ 失敗パターン(焦げ付き)
稼働率は原油市況だけでなく、米国内の生産動向、輸出ルートの競争、規制・訴訟による遅延などで左右される。大型インフラでは建設遅延がそのままコスト増につながり、返済余力を直撃しやすい。
■ 日本企業の受注余地
鋼材・設備・海上輸送などは「受注」として利益化しやすい一方、米国内の調達条件や現地企業との競争で実入りは変わる。
【プロジェクト3:人工ダイヤモンド製造拠点】
「人工ダイヤモンド」という言葉に宝石を連想する人も多いかもしれないが、ここで扱うのは工業用の話だ。半導体の研磨や自動車部品の精密加工に使われる素材で、現在は特定の国への供給依存度が高いとされ、安定調達が課題となっている。トヨタの佐藤社長が「安定した調達が企業活動の大前提」と語った背景には、この静かな依存リスクがある。
■ 収益源
素材販売が中心となる。需要先との長期供給契約や品質認定(量産採用)をどこまで早く確立できるかが鍵になる。
■ 日本側の取り分の出どころ
この案件の日本側メリットは二層に分かれる。第一に、融資・保証の回収。第二に、日本の製造業にとっての調達安定化(供給途絶リスクの低減)だ。金額規模は3案件の中で最も小さいが、製造業のサプライチェーンという観点では、最も「日本の実需」に直結しやすい性格を持つ。
■ 失敗パターン(焦げ付き)
コスト競争力や品質立ち上げが想定より難しく、需要が集まらないケースが最も現実的なリスクだ。素材産業は「作れる」と「売れる」の間に時間差が生まれやすい。採算が薄いまま政策優先で進めば、回収に影響が出る。
■ 日本企業の受注余地
製造装置、精密部材、検査・計測機器などは日本企業が強い領域が多い。受注が成立すれば、直接的な国内企業の実需につながる可能性がある。
【「双方にメリット」を本物にする条件:ここだけは見る】
政治家の言う「双方にメリット」は、検証されて初めて意味を持つ。今回の枠組みが日本の利益につながるかどうかは、次の4点に集約できる。
■ 回収順位
損が出たとき、誰が先に回収できる設計か。プロジェクトファイナンスでは「シニア(優先)→メザニン(中間)→エクイティ(劣後)」という回収順位が設計される。日本側資金がどの位置に置かれているかで、失敗時の影響は大きく変わる。
■ 受注の確度
「検討」から「契約」に落ちる条件があるか。現地調達比率や価格条件で受注が削られないか。
■ 長期契約の固さ
電力・ターミナル利用・素材供給など、長期契約がどの程度確保されているか。需要の裏付けが弱いと焦げ付きリスクが増える。
■ 遅延・コスト増の負担
許認可や訴訟、送電網整備などで遅れた場合、追加コストを誰が負担するのか。プロジェクトファイナンスでは致命傷になりやすい。
【おわりに:80兆円の意味は「額」ではなく「設計」にある】
「双方にメリット」という言葉が本物になるかどうかは、これから詰められる契約の細部にかかっている。
第1弾の3案件は、エネルギー供給、資源輸出、重要素材という米国の政策優先度が高い領域に集中している。日本側の利益は、融資回収と受注、そして一部は調達安定化という間接メリットも含む。霞が関の官僚たちが今まさに詰めているのは、まさにその細部だ。
この取引が日本にとって得になるかどうかは、政策スローガンでは決まらない。契約の細部、採算の前提、回収順位、受注の実態——その積み上げで決まる。第1弾は、その検証が可能な最初のケースとして、今後の進め方を占うことになる。
【参考:記事に登場する主な企業(東証プライム上場)】
ソフトバンクグループ(9984)
日立製作所(6501)
三菱電機(6503)
東芝(6502)
商船三井(9104)
日本製鉄(5401)
JFEホールディングス(5411)
三井海洋開発 MODEC(6269)
トヨタ自動車(7203)
(了)

