3月30日の衆議院予算委員会で、日本銀行の植田和男総裁はある重要な認識を示した。外国為替市場で一時1ドル=160円台まで円安が進んだことに関連し、「過去と比べると為替の変動が物価に影響を及ぼしやすくなっている面がある」と述べ、「基調的な物価上昇率に影響する可能性があることに留意が必要」と語ったのだ。
報道の見出しは「為替動向を注視」で終わりがちだが、この発言の本当の重みはそこではない。3月を通じて繰り返してきた警戒を、日銀が国会答弁でもより明確に語るようになった——という認識の深化にある。
「円安が物価を押し上げる」は昔から言われてきた話では?
確かに、円安になれば輸入品が高くなり、エネルギーや食料の値段が上がるという話は以前からある。しかしかつての日本では、円安による値上がりを企業が消費者に転嫁しにくかった。長年のデフレで「値上げすると客が逃げる」という心理が染みついていたため、企業は体力を削ってコスト上昇を吸収しがちだった。
そのため日銀も、円安による物価上昇は「一時的な要因」として見やすかった。賃金や企業の価格設定を通じて持続する本来の物価上昇——いわゆる「基調的物価上昇率」——への波及は限定的だと判断できる余地があったのだ。
ところが今は、以前より値上げ・価格転嫁が通りやすい環境になっている。賃上げが続き、消費者も価格変化を受け入れやすくなっているため、企業が円安コストをガソリンや食品だけでなく幅広い品目に転嫁しやすくなっている。日銀がみるところでは、その結果として為替の動きが「基調的な物価の流れ」に波及しやすくなってきた——というのが植田総裁の言う「過去と比べると影響しやすくなった」の意味だ。
3月を通じて強まってきた警戒
この発言は突然出てきたものではない。植田総裁は今月12日の国会答弁でも、ほぼ同じ表現で円安のパススルー(輸入コストが国内価格に転嫁される度合い)の強まりに言及していた(ロイター)。また3月4日の発言でも、「最近、円安になったとき国内価格に転嫁される率が上昇している」と述べていた(みんかぶ)。
さらに、30日の答弁の前日には、日銀が3月18・19日の金融政策決定会合の「主な意見」を公表している。その内容では、円安のパススルーの強まりや、原油高・円安が「継続的かつ大きくインフレを押し上げる懸念」、さらには「ビハインド・ザ・カーブ」(中央銀行が物価上昇への対応で利上げが後手に回ること)への警戒まで記されていた。
植田総裁の30日の発言は、こうした文脈の上に置くと、日銀が「為替を見ています」と一般論を述べたのではなく、「為替は政策判断に影響しうる変数として、いまや前面に出てきた」とそう読める発言だった。
長期金利2.39%が示すもの
同じ日、別の指標も動いた。日本国債の長期金利(10年物)が一時2.39%まで上昇し、約27年ぶりの高水準をつけた。
長期金利が上がるのは「将来、日銀が政策金利を引き上げる」と市場が予想するときだ。投資家は「今後の利上げに備えて、より高い金利を要求する」ようになるため、国債が売られ(価格が下がり)、利回りが上昇する。
つまり2.39%という数字は、市場が「円安と原油高が続けば、日銀は追加利上げに動かざるを得ない」と読み始めていることの反映だ。ロイター系の市場報道では、4月会合での追加利上げ観測も意識され始めているとされる。植田総裁が「金利が安定するよう、金融政策の考え方を丁寧に説明していく」と述べたのも、こうした市場の動揺を意識したものだろう。
なぜ今の円安は「前より重い」のか
整理すると、今の円安が以前より問題視される理由は二つある。
一つは、以前より値上げ・価格転嫁が通りやすい環境になっていること。企業が円安コストを価格に転嫁しやすくなった今、為替の動きが「基調的な物価の底流」を揺さぶりうる。
もう一つは、日銀が正常化路線の途上にあること。日銀はゼロ金利政策を修正し、少しずつ利上げを進めてきた。この過程で円安が加速すれば、利上げが後手に回るという批判を招くリスクが生まれる。160円台そのものより、「為替が政策の脇役ではなくなった」という構造変化のほうが、今の局面では本質的に重要だ。
(本稿は各種公開情報をもとに作成しました。一部数値は記事掲載時点の情報です)

