英国郵便局「ホライズン事件」家族にも補償へ 冤罪被害の救済が拡大

ある郵便局長が横領の疑いで訴追された。実際には、職場の会計システムが出した誤りの数字を「本人の不正」と見なされた結果だった。本人は職を失い、社会的信用を失い、家族もそのしわ寄せを受けた。こうした悲劇が、イギリス全土で900人超、約16年間にわたって繰り返されていた。

「ホライズン事件」として知られるこの冤罪の連鎖に対し、英国政府は2026年3月19日、新たな補償の枠組みを発表した。これまでは被害者本人への補償が中心だったが、今回は家族にも金銭的な救済を行う制度を設けるというものだ。政府は「家族も深刻な精神的被害を受けた」と公式に認めた。


目次

ホライズン事件とは何か

まず、この事件の背景を押さえておく必要がある。

イギリスでは1999年から2015年にかけて、全国の郵便局で使われていた会計システム「Horizon(ホライズン)」に深刻な不具合があった。このシステムは、英郵便局とは別会社である富士通の子会社が納入・保守を担当していた。

不具合の内容はこうだ。Horizonは「窓口の現金と帳簿上の残高が合っていない」という誤ったデータを出し続けた。本来なら「システムの問題」として調査されるべき事態だったが、英郵便局は「現場の郵便局長が横領している」という前提でこれを扱った。その結果、900人超の郵便局長が横領や詐欺などの罪で訴追され、有罪判決を受けた人も多く出た。

真相が明らかになったのは後のことだ。2019年、高裁がシステムに「欠陥(bugs, errors and defects)」があったと認定。その後、各地の有罪判決が次々と取り消され、英国史上最大規模の冤罪事件として社会問題化した。


被害は「本人だけ」ではなかった

この事件が特に深刻なのは、被害が本人一人にとどまらなかった点だ。

訴追を受けた郵便局長の多くは、突然の収入喪失で生活が立ち行かなくなった。一部は破産に追い込まれ、自宅を失った人もいた。収監された人は家族と引き離された。有罪判決を受けた人の配偶者や子どもは、近所や学校でも白い目を向けられた。

つまり、冤罪の痛みは家族にも及んでいた。しかしこれまでの補償制度は基本的に「被害者本人」を対象としており、家族の損害は十分に救済されてこなかった。被害者家族の支援団体「Lost Chances」などを中心に、家族への補償を求める声が長年あがり続けていた。


今回の新制度——家族への補償が正式に始まる

英国政府が今回発表した新制度は「Horizon Family Members Redress Scheme(ホライズン家族補償制度)」で、2026年夏に開始予定だ。

対象は、事件当時に被害者と同居していた配偶者、子ども、親など近親者だ。申請ルートは2種類ある。

一つ目は、精神的被害などを示す証拠を提出して個別審査を受ける方法だ。被害の程度に応じた補償額が支払われる。

二つ目は、詳細な医療記録などの証拠が用意できない場合でも、訴追や破産など一定の重大事象があった被害者の家族であれば、「定額の認定支払い」を受け取れる仕組みだ。証拠の準備が難しい人でも申請できるようにした点は、制度としての利用しやすさへの配慮だ。

また政府は今回、金銭補償に加えて対面での謝罪を含む回復的司法プログラムも進める方針を示した。金銭だけでは補えない部分——「人として謝られること」——の意味は、長年傷を負い続けた被害者や家族にとって小さくないはずだ。


費用は誰が払うのか——富士通の問題

この制度を考えるうえで見逃せないのが、費用の問題だ。

既存の補償制度だけで、すでに14億ポンド超が支払われており、今回の家族向け補償はその追加分となる。問題は、その費用を誰が負担するかだ。

事件の技術的な起点となったシステムを納入・保守したのは、富士通(東証プライム・証券コード6702)の子会社だ。富士通は道義的な責任を認めており、「将来的な拠出意向」は示している。しかし、2026年3月時点では今回の家族向け新制度には富士通は関与しておらず、具体的な負担額も決まっていない。

英議会の委員会では、富士通が現時点で拠出していない点への批判が強い。なお英国政府は、最終的な富士通の負担額は調査報告書の最終巻が出た後に決定されるとの整理をしており、今後の交渉の行方が注目される。


「遅すぎる」という声の意味

英国メディアの報道でも、今回の家族補償制度は前進として評価される一方、「遅すぎた」という視点が繰り返されている。

最初の訴追から数えれば、すでに27年が経つ。その間に亡くなった被害者もいる。心の傷が完全に癒えることのない人もいる。「補償が始まる」という事実は、失われた時間を取り戻すことにはならない。

一方で、「冤罪で家族が受けた損害も、国家が補償すべき損害だ」という考え方が制度として正式に認められたことは、この事件が社会に問いかけ続けた命題への一つの答えでもある。


日本でも「人ごとではない」理由

この事件は遠い英国の話に聞こえるかもしれないが、日本とも無縁ではない。システムを供給した富士通は日本を代表するIT企業であり、今もさまざまな公共・民間システムを手がけている。事件は「欠陥システムを使い続け、現場の人間に責任を転嫁した組織的な失敗」という性格を持っており、「システムの誤りを人間のせいにしてしまう構造」はどの国にも起こりうる問題だ。

英国でこの事件が大きく取り上げられ、補償制度の整備が進んでいる背景には、被害者たちが長年声を上げ続け、メディアや議会がそれを支え、司法が誤りを認めたというプロセスがある。日本においても、デジタル化が進む中でシステム障害や誤判定がどのように扱われるか、改めて考えさせられる事件だ。

(本稿は各種公開情報をもとに作成しました。一部数値は記事掲載時点の情報です)

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この記事を書いた人

CFP®/1級ファイナンシャルプランニング技能士
公益社団法人 日本証券アナリスト協会認定
・プライマリー・プライベートバンカー
・資産形成コンサルタント
一般社団法人金融財政事情研究会認定
・NISA取引アドバイザー

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