「1バレル200ドルを覚悟せよ」——。イランの革命防衛隊報道官が世界に向けてそう言い放ったのは2026年3月11日のことだ。アメリカとイスラエルによる軍事作戦が続くなか、ペルシャ湾の出口に当たるホルムズ海峡は通航リスクが急上昇し、著しく機能が低下した状態が続いている。これは単なる中東の紛争ニュースではない。私たちの生活に直結するエネルギー価格や物価を揺さぶる、経済問題でもある。
「事実上の封鎖」とは何か
ホルムズ海峡という名前を聞いたことはあっても、なぜ重要なのかピンとこない方も多いだろう。ここはペルシャ湾とオマーン湾をつなぐ幅約50キロの細長い海峡で、サウジアラビア、イラク、クウェート、UAEといった中東の主要産油国が輸出する原油やLNG(液化天然ガス)が通る「海の大動脈」だ。世界の石油海上輸送量の約2割がここを通るほか、LNG輸送でも極めて重要なルートとなっている。
「封鎖」という言葉は、法的に通航を完全に禁じた状態を指す。だが今回の問題の深刻さは、正式に封鎖が宣言されていなくても、実務上すでに「通れない・通りたくない・通せない」状態が生まれていることにある。
軍事作戦が始まった先月28日以降、ペルシャ湾やホルムズ海峡周辺では13件の攻撃が確認されている(英国海事機関)。3月11日だけでも、タイ船籍の貨物船がホルムズ海峡付近で攻撃を受けたほか、イラク南部沖のペルシャ湾でタンカー2隻が爆発物を積んだ小型ボートに衝突され、乗組員1人が死亡した。革命防衛隊の報道官は「アメリカやその協力国に通過する権利はない」と宣言し、船会社や保険会社を威圧し続けている。
こうなると、法的に封鎖が宣言されていなくても、船を出せない。たとえ通れても、保険料が跳ね上がれば採算が合わない。結果として物流は止まる——これが「事実上の封鎖」の実態だ。
史上最大の備蓄放出でも、原油は上がり続けた
世界はすぐに動いた。IEA(国際エネルギー機関)の加盟32か国は3月11日、過去最大規模となる4億バレルの石油備蓄を協調放出することで合意した。これは短期的な供給不足を補うための緊急措置で、発表直後に原油価格はいったん1バレル82ドル台まで下落した。
しかし、その安堵はほんの一瞬だった。
トランプ大統領が同日の集会で「われわれは早々に引き揚げたいわけではない。仕事を終わらせなければならない」と発言し、海峡周辺での攻撃が相次いで報じられると、価格は急反発。WTI(ニューヨーク原油市場の指標)の先物価格は一時、1バレル95ドル台まで上昇した。これは今回の軍事作戦が始まる前と比べ、40%以上高い水準だ。
なぜ備蓄放出という大きな手を打っても価格が落ち着かないのか。理由は明快で、「戦争がいつ終わるかわからない」という不安が価格に上乗せされているからだ。備蓄放出はあくまで一時的な応急措置であり、海峡が長期間使えない状況が続けば、備蓄はいずれ底をつく。市場はそのリスクを折り込んでいる。
見えないアメリカの「出口」
状況をさらに複雑にしているのが、アメリカの出口戦略が読めないことだ。
トランプ大統領はニュースサイト「アクシオス」とのインタビューでは「作戦終結はまもなくだ」と語った一方、集会では「仕事を終わらせなければ引き揚げない」と述べた。2つのメッセージは矛盾しており、市場の不安を煽っている。
さらに厄介なのは、アメリカとイスラエルが掲げてきた目標の一つ——イランの「体制転換」——の実現が、現実には難しいと見られていることだ。ロイター通信は3月11日、複数のアメリカ情報機関関係者の話として、「イランの体制は大部分を維持しており、近いうちに崩壊する可能性はない」との分析を伝えた。最高指導者ハメネイ師が殺害された後も、後継体制と革命防衛隊がイランを掌握しているとみられている。
イスラエルの公共放送も、閣僚の話として「体制転換は簡単ではない」との見方を報じている。体制が変わらなければ戦争を終わらせる政治的な着地点が見えず、軍事作戦はずるずると続くリスクがある。アメリカ中央軍のクーパー司令官はこれまでに「5500以上の標的を攻撃した」と明かしており、作戦の規模は日々拡大している。作戦コストは開始からわずか6日間で113億ドル(約1兆7900億円)を超えたと伝えられており、長期化すれば経済的な負担も膨らむ。
日本の船も被害——日本への影響は
この問題は日本にとっても他人事ではない。
商船三井が所有するコンテナ船「ONE MAJESTY」は3月11日未明、ホルムズ海峡から約110キロのペルシャ湾内に停泊中に衝撃を受け、船体後部に2か所の穴が確認された。幸い浸水はなく、日本人を含む船員に負傷者はなかったが、船はより安全な場所へ移動を余儀なくされた。日本船主協会によると、ペルシャ湾内には現在も日本関係の船舶45隻がとどまっている。
日本はエネルギーのほぼ全量を輸入に頼る国だ。原油価格が上がれば、ガソリン価格が上がり、電気・ガス代が上がり、物流コストが上がり、スーパーに並ぶ食品の値段にも影響が出てくる。加えて海運保険料の急騰も懸念材料で、これが輸入コスト全体を押し上げれば、原油だけの問題では済まなくなる。
国際社会の動きと人道的コスト
外交面では、国連安全保障理事会が3月11日、イランによる湾岸諸国などへの攻撃停止を求める決議を13か国の賛成で採択した(ロシアと中国は棄権)。日本を含む135か国が提案国に名を連ねており、国際的な圧力は高まっている。ただ、イランが攻撃をやめるかどうかは明言していない。
そして忘れてはならないのは、市場が動く背後で現実の犠牲が積み上がっていることだ。ユニセフのまとめでは、軍事作戦が始まって以来、中東地域で300人近くの子どもが死亡している。原油価格を動かしているのは、こうした人的被害の上に積み上がった地政学リスクでもある。
今後の焦点
戦闘がいつ終わるか、ホルムズ海峡がいつ平常の状態に戻るか、現時点では見通しが立っていない。
今後注目すべきは次の3点だ。①通航再開の有無——イランが攻撃を止め、船舶が安全に航行できる状態が戻るかどうか。②保険料と海運各社の判断——保険コストが下がらなければ、法的な封鎖がなくても物流は止まったままになる。③原油価格の高止まりが日本のガソリン・電力・食品価格にどう波及するか——エネルギー輸入国の日本は、この連鎖の最も影響を受けやすい立場にある。
「1バレル200ドル」のシナリオが現実になるかどうかはわからない。ただ、軍事ニュースに見えるこの問題の本質は、世界経済をつなぐ「海の大動脈」が詰まりつつあるという、生活直結の経済問題だ。その行方は、私たちの日常のコストに直接跳ね返ってくる。
(本稿は各種公開情報をもとに作成しました。一部数値は記事掲載時点の情報です)

