「オイルショック」という言葉を聞いたことがあるだろうか。1970年代、中東の政情不安をきっかけに原油価格が急騰し、日本中でトイレットペーパーの買い占め騒動が起きた歴史的な出来事だ。当時の混乱を知る世代にとって、「また来るかもしれない」という恐怖は、半世紀経っても消えていない。
2026年2月28日、その記憶を呼び覚ます出来事が起きた。アメリカとイスラエルがイランへの攻撃を開始したのだ。最高指導者であるハメネイ師が殺害され、体制の根幹が揺らぐという前例のない事態に、原油市場は激しく反応した。
「令和のオイルショックが来るかもしれない」——市場関係者の間でそんな言葉が飛び交う中、原油の先物価格は急上昇した。だが一方で、専門家たちは複雑な表情を見せる。値上がりはしている。でも、「過去の緊迫局面」と比べると、必ずしも最大ではない。いったいどういうことなのか。
攻撃開始の週明け、原油は一気に跳ね上がった
攻撃が始まる前、原油取引の国際的な指標であるWTI(ウエスト・テキサス・インターミーディエート)先物価格は、1バレル=67ドル台で推移していた。
WTIとは、アメリカのテキサス州産の原油を基準にした取引価格で、世界の原油相場の「体温計」のような役割を持つ。この数字が動くと、ガソリン代や電気代、食料品の輸送コストなど、私たちの生活に広く影響が及ぶ。
週末をはさんで市場が開いた3月2日(月)、WTI先物は一気に75ドル台まで跳ね上がった。さらに6日早朝には一時82ドル台まで上昇し、攻撃前と比べた上昇率は20%を超えた。東京の原油市場でも同様の動きが見られ、中東産原油を対象とした先物価格は、攻撃直前の1キロリットル=6万7780円から、3月2日には一時7万2430円(6.9%上昇)、4日には7万3450円まで上昇した。
投資家たちがこれほど敏感に反応した理由は、「ホルムズ海峡」という場所への懸念だ。
なぜ「ホルムズ海峡」がこれほど注目されるのか
ホルムズ海峡は、ペルシャ湾と外海(オマーン湾)をつなぐ幅の狭い水路だ。最も狭いところでは幅が※50キロメートルほどしかない。にもかかわらず、世界の原油消費量の約2割がここを通過して世界各地へ輸送されると言われる。
※EIAは最狭部を21マイル(約33キロ)と説明
中東の産油国——サウジアラビア、イラク、クウェート、アラブ首長国連邦、そしてイランも——は、多くの場合この海峡を通らなければ原油を輸出できない。つまり、ここが「詰まる」と、世界のエネルギー供給は深刻な打撃を受ける。

今回の攻撃後、イランの革命防衛隊が海峡周辺を航行する船舶に「航行禁止」の無線通告を出したり、「通過する船舶には火を付ける」と警告したりしたと伝えられた。現地メディアの一部は「事実上閉鎖された」と報じる一方、NHKの取材にアメリカ軍は「封鎖されていない」と答えたとされる。真相は混乱した情報の中に埋もれていたが、投資家にとってその不確実性自体が十分な恐怖だった。
「過去の緊迫局面」と何が違うのか——価格が示す歴史
ここで、直近の中東緊迫局面と今回を比べてみると、興味深い事実が見えてくる。
2024年4月、シリアにあるイランの大使館がイスラエルによる攻撃を受け、イランがイスラエルへの報復として無人機やミサイルを発射した。この時のWTI先物の最高値は1バレル=87.67ドルだった。
2025年6月、イスラエルがイランの核関連施設を突如攻撃し、革命防衛隊のトップが死亡。後にアメリカもイランの核施設を攻撃する事態に発展した。最終的にはトランプ大統領がSNSで「停戦合意」を発表して収束したが、この時のWTI最高値は1バレル=78.40ドルだった。
NHKが3月6日午後1時の時点で公開したコラムでは、「現時点の局面では最も高いところで82ドル台」とあり、2024年4月のピークには届いていなかった。(3月6日昼時点ではそう見られていたが、その後の上昇で見立ては修正を迫られた)記事は「”令和のオイルショック”と身構えた人も少なくなかったが、今の水準はここ数年の緊迫局面ほど高くなっていない」と伝えていた。
ただし重要な注記がある。この記事の公開後、同日のうちに相場はさらに動いた。追加の報道では、6日中にWTIが90ドル台を超えたとされる(素材内の分析情報のため確認要)。「過去ほどではない」という見立ては、記事公開からほぼ半日で書き換えを迫られていた可能性がある。原油市場がいかに速く動くかを示す出来事だった。
専門家はどう読んでいるか——「楽観」と「悲観」の両面

NHKのコラムには、二人の専門家のコメントが登場する。興味深いのは、二人の分析の出発点が異なりながらも、ともに「将来の不確実性」を強調していることだ。
「戦闘は長引かない」——ニッセイ基礎研究所 上野剛志主席エコノミスト
上野氏は、現時点では「ホルムズ海峡の封鎖は長期化しない」という観測が市場に反映されていると見る。
理由の一つは、軍事力の非対称性だ。「イランは昨年受けた攻撃で軍事力をそがれており、今の攻撃に長くは持ちこたえられないと見ている市場関係者は多い」と言う。
もう一つは、アメリカの国内政治情勢だ。2026年秋にはアメリカの中間選挙が控えている。原油高が続けば、ガソリン代や食料品の値上がりを通じて消費者の不満が高まり、選挙に悪影響が出かねない。「イランのミサイル基地を破壊し、ハメネイ師を殺害した今、トランプ大統領は”目標は達成された”と一方的に宣言し、作戦を終了するのではないかという観測もある」と上野氏は語る。
「すでに経済減速を織り込んでいる」——楽天証券経済研究所 吉田哲コモディティアナリスト
一方、吉田氏は視点を変えて、今の価格の動きを「将来の需要減少を先読みした動き」と解釈する。
もしホルムズ海峡がイランによって機雷を敷設されるなどして「完全封鎖」される事態になれば、原油を中東に大きく依存する日本・中国・韓国などは調達できなくなる。それは工場の停止、輸送の麻痺を通じて、世界経済の深刻な減速につながる。原油の需要そのものが落ちてしまえば、価格は逆に下がる——そうした「最悪のシナリオ」を市場がある程度先読みしているため、今の価格上昇に「上値の重さ」があるのではないか、という見立てだ。
「今の段階から先物価格に下落圧力がかかっているのではないか」という吉田氏の分析は、一見矛盾して聞こえる。原油が高騰しているのに、下落圧力がかかっている?その答えは「供給不安による上昇」と「景気悪化による需要減退の先読み」という、二つの力が同時に働いているという見方だ。
二人が共通して言うこと——「不測の事態」を排除できない
楽観的な上野氏も、慎重な吉田氏も、一点では意見が一致する。それは「現時点の分析はあくまで今の情報をもとにしたものに過ぎない」という点だ。
「イラン情勢をめぐって不測の衝突が起きれば、原油価格が一段と上昇する可能性は十分ある」——両氏はそろってそう指摘する。
最高指導者の殺害というかつてない事態が起きた後、政治と軍事の動きは今も流動的だ。どこかで「不測の衝突」が起きれば、市場の前提は一瞬で変わりうる。
私たちの生活にとって何を意味するのか
原油価格の上昇は、じわじわと生活コストに影響を及ぼす。
ガソリン代はわかりやすいが、それだけではない。農作物を運ぶトラックの燃料費、肥料の原料となる天然ガスの価格、プラスチック製品の素材コスト——これらはすべて、原油や関連エネルギー価格と連動している。原油高が長引けば、食料品や日用品の値上がりとして家計に響いてくる可能性がある。
また日本はエネルギー資源のほとんどを輸入に依存しており、原油高は円安の圧力にもなる。原油の代金をドルで払う必要があるため、より多くの円をドルに換えなければならず、円安が進みやすくなるからだ(この点については先週来の円相場の動きでも実際に現れている)。
今後の焦点——何を見ればいいか
専門家の見立てをふまえると、今後注目すべきポイントはこの二点に絞られる。
ホルムズ海峡の動向:封鎖が「部分的・一時的」にとどまるのか、それとも長期化・完全封鎖へと向かうのか。ここが原油価格の行方を左右する最大のカギだ。
アメリカの対応:トランプ政権が「目標達成」と宣言して攻撃を終了するのか、それとも作戦を拡大するのか。政治的な判断がエネルギー市場を大きく動かしうる局面だ。
「令和のオイルショック」は起きるのか——その答えはまだ誰にも分からない。ただ、今回の事態は単なる価格の話ではなく、エネルギーを輸入に頼る日本が世界の政治状況にいかに左右されやすいかを、改めて突きつけているといえるだろう。

