2026年2月20日、高市総理大臣は国会での施政方針演説に臨んだ。その中にロシアへの言及があった。「領土問題を解決し、平和条約を締結する方針に変わりはない」──簡潔な一言だった。
同じ日、モスクワのクレムリンでは記者会見が開かれていた。ロシア大統領府のドミトリー・ペスコフ報道官は、記者の質問にこう答えた。「現在、ロシアと日本の関係はゼロにまで悪化している。対話は存在せず、対話なしに平和条約について議論するのは不可能だ」。
同じ日に、日本とロシアの双方が「平和条約」という言葉を口にした。しかし、その言葉が示す現実は、まるで正反対だった。
そもそも「平和条約がない」とはどういう状態か
この問題を理解するには、まず一つの事実から始めなければならない。
日本とロシア(その前身のソ連)は、第二次世界大戦を「法的に終わらせる条約」をいまだ結んでいない。
1945年8月、ソ連は日本に宣戦を布告し、参戦した。戦後、日本は連合国と1951年にサンフランシスコ平和条約を締結したが、ソ連はこれに署名しなかった。1945年の終戦から80年以上、日本とロシア(ソ連)の間には「終戦の証書」とも言えるものが存在しないままになっている。
では、日本とロシアはずっと無関係のままかというと、そうでもない。1956年、日ソ共同宣言が結ばれ、国交は回復した。漁業協定が結ばれ、貿易が行われ、ビザなし交流もあった。しかし「戦争の公式な終わり」は、今日まで持ち越されている。
その最大の障壁が、「北方領土問題」だ。
四つの島をめぐる80年の交渉
北海道の北東に位置する四つの島──択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島。日本政府はこれらを「固有の領土」として返還を求め続けている。ロシアはこれを拒み、自国の領土だと主張している。
1956年の日ソ共同宣言では「平和条約を締結した後に、歯舞群島と色丹島を引き渡す」という条項が盛り込まれた。これが交渉の出発点とされてきた。しかし、択捉島と国後島については明記されなかった。「2島か4島か」という問いは、その後も解けない宿題として残った。
冷戦の終結後も、首脳・外相級の交渉は何度か重ねられた。節目ごとに「交渉加速」が語られたが、帰属の溝は埋まらず、平和条約は結ばれないままだった。
転換点となった2022年
状況が大きく変わったのは、2022年2月のことだ。ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始した。
日本は、G7(主要7カ国)と歩調を合わせ、ロシアへの経済制裁を発動した。ロシア関連資産の凍結、輸出規制、政府高官のビザ停止──制裁の範囲は広がった。また、ウクライナへの防衛装備品や財政的な支援も続けている。
これに対してロシアは、2022年3月、「日本との平和条約交渉を中断する」と一方的に表明した。さらに、かつて行われていた北方領土のビザなし交流も停止した。
「対話を終わらせたのは日本だ」──これがロシアの一貫した主張だ。
一方の日本政府は、「制裁は国際法違反であるウクライナ侵攻への対応であり、領土問題と平和条約の方針は変わらない」という立場を維持している。両国の前提は、根本からかみ合っていない。
2026年2月の発言が意味するもの
高市首相の施政方針演説は、政権の基本方針を国民と国会に示す、毎年恒例の場だ。そこで「平和条約締結の方針は変わらない」と述べることは、外交上のシグナルでもある。日本としては「交渉の扉は閉じていない」という意思表示だ。
それに対するペスコフ報道官の反応は、従来の線を繰り返したものだった。「関係はゼロ」「対話は存在しない」という言葉は、2025年の発言とも同趣旨とされており、目新しい方針転換があったわけではない。
ただ、首相の演説とほぼ同日にこの発言が出たことで、双方の立場の隔たりが改めて浮かび上がる形になった。
「議論は不可能」のその先
現状、日本とロシアの間で「首脳・外相級の公式な対話」は存在しない、というのがロイターなど複数の報道機関の整理だ。制裁が続く限り、ロシア側は「対話の条件が整っていない」として交渉の場に戻らないという構えを見せている。
日本側は制裁の継続とウクライナ支援を維持する姿勢であり、それをやめて交渉を再開する選択肢は、少なくとも現状では見えていない。
80年以上続いてきた「平和条約のない状態」は、ロシアの侵攻をめぐる対立と制裁が続く限り、少なくとも当面は長期化する可能性が高い。今回の発言は、その現実を改めて確認するものだった。
参考:NHK報道(2026年2月21日)、ロシア大統領府・ペスコフ報道官の記者会見発言(同2月20日)、外務省「日露関係」ページ、1956年日ソ共同宣言

