2026年2月24日、ドイツのフリードリヒ・メルツ首相は北京へ向かう機上にある。
同行するのは、外交官だけではない。BMWをはじめとする自動車大手や製造業のCEOたちも名を連ねている。首相の訪問が「政治の行事」だけに終わらないことは、この顔ぶれが示している。
3日間の日程でメルツ氏は、中国国家主席の習近平氏、そして首相(国務院総理)の李強氏と相次いで会談する。北京のほか、ロボット産業が集積する東部の杭州にも足を運ぶ。昨年5月の就任以来、初めての訪中だ。
なぜ今、ドイツはわざわざ中国へ向かうのか。
ヨーロッパ首脳が相次いで中国を訪れた冬
メルツ首相の中国訪問は、唐突なものではない。ここ数か月、ヨーロッパの首脳が相次いで北京を訪れていた。
2025年12月にはフランスのマクロン大統領が訪中し、貿易やウクライナ情勢をめぐって習氏と会談した。2026年1月末にはイギリスのスターマー首相が北京入りし、関係修復と市場アクセスを議題に据えた。そして2月──今度はドイツが動いた。
こうした動きが続く背景には、大西洋の向こうで起きている出来事がある。
アメリカのトランプ政権は、同盟国を含む幅広い相手に関税を課す姿勢を強めている。欧州の鉄鋼・自動車などへの関税引き上げや一律関税の拡大が取り沙汰されており、その時期や対象には不確実な部分も多い。ヨーロッパの輸出産業にとって、こうした先行き不透明感は経営判断を難しくする大きなリスクだ。そうした状況の中で、ヨーロッパ各国は「アメリカ一辺倒」ではなく、経済面での選択肢を広げようと模索し始めている。
中国は、その有力な選択肢の一つとして浮上しているとみられる。
ドイツにとって中国がいかに重いか
ドイツが中国との関係に神経をとがらせる理由は、数字が端的に示している。
独連邦統計局によれば、2025年の独中貿易額(輸出入合計)は2518億ユーロに達し、中国はドイツ最大の貿易相手国となった。自動車、機械、化学──ドイツを代表する産業はいずれも、製品の売り先として、あるいは部品・素材の仕入れ先として、中国と深く結びついている。
中でも自動車産業の中国依存は際立っており、中国市場への比率が特に高い自動車大手のCEOが今回メルツ首相の訪中に同行することは象徴的だ。「中国市場を無視すれば世界で勝てない」──そうした現実が、ビジネス界を北京へと向かわせる。
「関係を断つ」のではなく「依存を管理する」
だが、今回の訪中は「中国と仲良くしましょう」という単純な外交ではない。
ヨーロッパが近年採用する言葉が「デリスキング(de-risking)」だ。「デカップリング(切り離し)」とは似て非なる考え方で、「中国とのビジネスをやめる」のではなく、「頼りすぎている部分を減らして、政治的リスクや供給の途絶えに耐えられる体制を整える」という戦略を指す。
半導体、電気自動車の電池に必要なレアアース(希少金属)、医薬品原料──こうした分野で中国への依存が突出すると、何かの拍子に関係が悪化したとき、経済全体が揺らぎかねない。そこで調達先を複数に分散させ、重要物資のリスクを下げていく。協力できるところは協力しつつ、守るべき領域は守る──これがデリスキングの発想だ。
メルツ首相もこうした流れを意識しているとみられ、「中国との関係強化」より「管理された関係の再調整」が今回の訪問の本質に近いとみられる。
産業界の「温度差」
同行するドイツ企業のトップたちも、一枚岩ではない。
自動車大手のCEOたちは、中国市場の重要性を強調し、現地での競争力を維持することを最優先に据える。一方で、ドイツの産業界を代表するロビー団体は、「中国の過剰生産が欧州の雇用と安全保障を脅かしている」と強い言葉で警告している。
「過剰生産」とは、工場の生産能力が国内の需要を大きく上回っている状態だ。売れ残りが輸出に回ると、受け入れ先の市場では価格が下がり、現地の製造業者が苦しくなる。欧州は中国製の電気自動車に最大35.3%の関税を課すなどの対抗措置を取ってきたが、この問題は今回の会談でも避けて通れない争点だ。
習近平と李強、2人の相手
会談の相手は2人いる。この点が、中国外交の特徴をよく表している。
中国では、国家主席(習近平氏)が政治・外交全体の最高権威を持ち、首相=国務院総理(李強氏)が経済運営や産業政策の実務を担う。会談での役割も自然と分かれ、貿易ルールや関税・投資条件などの具体的な交渉は総理との会談で深まりやすく、安全保障などの地政学的テーマは主席との対話が核心になりやすい。
メルツ首相が両者と会うことで、「政治と経済をセットで話し合う」という姿勢を示す形になっている。
三角形の中のドイツ
今回の訪中の本当の意味は、「米中欧」の三角関係の中で読むとより鮮明になる。
アメリカは関税でドイツを含む同盟国に圧力をかける。中国は欧州との経済関係の重要性を強調し、関係維持を促す。ヨーロッパはアメリカとの同盟を維持しながら、中国とも最低限の関係を保ちたい──この三者の綱引きの中で、ドイツは「どちらにもすべてを預けない」という綱渡りの外交を進めている。
メルツ首相が北京へ向かった理由は、「中国が好きだから」でも「アメリカを裏切るから」でもない。厳しい経済環境の中で、できる限り多くの選択肢を手元に残そうとする、現実主義の判断だ。
参考:NHK報道(2026年2月21日)、AP・ロイターの訪中関連報道、独連邦統計局(2025年独中貿易統計)、欧州議会調査局のデリスキング関連資料

